趣味は草むしりです。

日々のしょうもないことをお届けします。

大福は美味しい。

憂鬱。

何をするのも億劫でこのブログも大分間が空いてしまった。

苦労は買ってでもしろとはよく言ったもので正に実感中だ。若い頃は苦労なんてしないに越したことはない、苦労なんて買うべきではないと思っていた。もちろん、苦労しないに越したことはない、苦労なき人生に憧れをいだいている。が、そうはいかなかったのが我が人生。

若い頃、あまり苦労はしなかったように思う。ので今が非常に苦しい。若ければ乗り越えられたかもしれないが、苦労への耐性がなければ体力も気力もない。若いうちの苦労は保険なのだ。保険には加入しましょう。

と言う訳で常に気が重い。心に澱が溜まっていく。あぁ、この澱がこし餡の素ならいいのに…。いえ、たまたまネットでこし餡作るのを見まして、澱が美味しい餡子になるのですよ。餡子美味しいですよね。

昔、こし餡とまではいかなかったけれど、祖母が小豆を育て収穫、その後ザルに干し鞘から小豆を取り出すのをやらせてもらったが、虫が出るたび放り投げてたな。小豆が出てくるはずなのに芋虫みたいなのが何食わぬ顔で(いや、小豆食べてるんですけど)出てくるんですもん。そのあとは虫食いの小豆を除去、ちまちました作業が昔から好きなようで飽きずに選別してた記憶が薄っすらと蘇る。

で、気付くと台所でくつくつと煮られて、おはぎとして登場するのです。どちらかと言えばこし餡派なので粒餡に若干の不満がありましたが良く食べておりました。そこから記憶が途絶え、いえ、そんなことはないけれど、チョコレートだとかポテトチップスだとかばかり食べ、永らく餡子及び和菓子はあまり食べなかった気がするが、ここ最近になって大福をよく食べる。買い物に行きおやつを選ぶ時、2回に1回は大福を買っている。そして食べるを繰り返している。お餅を考えた人、餡子を考えた人、それを一緒にした人、ありがとうございます。美味しいです。お餅は柔らかめでお願いします。できたらこし餡希望です。

はてさて心の澱は美味しい餡子に変わる日が来るのだろうか。

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